知的障害者福祉協会の活動を通して
先月に日本協会の会長職を次の方にバトンタッチすることが出来た。
6年の任期中半分がコロナ禍ということもあり十分な働きとはいかなかったが、これまで多くの皆様に支えていただき感謝したい。
改めて、協会活動を振り返ると始めて知的障害者福祉協会活動に興味を持ったのが30代だったので、30年間を越えてお世話になったことになる。
当時は愛護協会という名称で入所施設中心の措置という時代であった。当時入所更生施設「向陽園」で現場の課長職をしていた時であった。利用者からみるとどこに入所するかは措置なので一方的に決められる。Aが良い施設、Bがまあまあの施設、Cが芳しくない施設だとすれば利用者や家族の意思が働くことはない。Aの施設に入ればラッキーでCの施設だとアンラッキーそれでいいのだろうか。私たちがこれを少しでも良い方向に変えていくのは事業者団体である愛護協会しかないと考えた。当時の上司である小林園長に相談したところ、主旨に賛同いただき山形県入所更生部会が現場職員中心に立ち上がった。初めの発表が庄司さんの向陽園の倫理綱領と、山形育成園の児玉さんの年金管理であったと記憶している。発表が終わった後は仲間と車座になり深夜になるまでお酒を飲みながら熱い議論を行った。
その後、支援スタッフ部会が立ち上がり県の会長職、東北の会長職、そして日本協会での「さぽーと」の編集委員、副会長職と会長職とお役目をいただいた。協会活動を通して全国の多くの皆さんとの出会いは私にとってのかけがえのない財産となっている。
日本協会を創設された石井亮一先生をはじめ先達が障害のある子供たちの幸せを願い当協会が立ち上がった。これからも日本協会は時代は変わっても障害のある当事者を優先して考える集団であってほしい。これからの発展を心から願いたい。