Oさんとの別れ
本日当法人の事業を長年利用されていたOさんのご逝去の知らせを聞いた。
30代半ばの死は突然であまりに悲しい。
Oさんはある県内の児童施設から入所となったが両手を後ろ手にぐるぐる巻きにされた状態での
向陽園入所となった。激しい自傷行為から身を守るための手段であった。
当時山形グランドホテルで忘年会を実施していたがまるで犯罪を犯した人の手錠を
隠すような状態で参加した。心の不安定さが自傷行為に繋がっていたのであろう。しばらく経つと
拘束は必要ではなくなった。
そしてある秋の日の夕方暗がりの中で園から一人で出ていき向陽園の前の道路で走ってきた車にはねられる大事故となった。
救急車のサイレンの音に驚いて道路に出るとフロントガラスを突き破りボンネットから転げ落ち、車の下に
彼の体が横たわっていた。もうダメだとの思いだったが山形大学病院にすぐに運ばれ軽傷で済み数日で退院という
奇跡のようなことが起こった。彼の体重の軽さとドライバーの低スピードが幸いした。
その時によくお話しさせていただく小林元園長の愛泉会の方向を決めた言葉を聞くこととなる。生死も不確かな時「園内にとどまらず外にでるという私たちの方針は間違っていない。事故が起こると現場は消極的になるのでこんな時こそ現場を励まそう」とのお話だった。このような上司のもとで働ける環境に喜びを強く感じた。
言葉は出すことは困難であったがとてもよく理解して、多くのことに興味をもったOさん。その後彼の医療に対応できず
向陽園を退所となり、ご両親と一緒の生活を送られ日中のサービス利用となった。
彼のように要医療の人たちのグループホームもこれからの計画の中にあったのだがそれを利用することなく旅立たれ残念であった。
それにしても知的障害のある特に多くの支援必要とする人たちの命は短い。私よりずっと若い多くの利用者との別れが続く。
かけがえのない一日一日を大切にする実践を心がけたい。 合掌