blog庄司園長の部屋

向陽園開設から32年、長年の夢、目標が達成されました

山形市片谷地、中山町長崎での開設を目指し、工事を進めていたグループホームも完成し、入居を予定していた方々も、意思確認のための体験宿泊から入居へと順次切り替わっているようです。向陽園で生活していた時には、グループホームへの移行になかなか首を縦に振ってもらえなかったAさんも、ホームでの生活にすっかり馴染み、向陽園に戻るか聞いても、ニコニコ笑いながら「嫌だ」と首を横に振って完全拒絶です。なかなか意思確認ができない方々もいらっしゃいますが、施設とホーム側で入居予定者1人ひとりに合わせた形で、意思形成のための工夫をしてくれたようです。

今回のホーム開設により、昭和61年に向陽園が開設されたから施設で生活されていた方たちは、これで0となりました。施設開設から32年、地域移行の速度が速かったのか、遅かったのか、判断は皆さんに委ねるとして、向陽園の誕生とともに歩んできた職員として、これまでの地域移行の取り組みを総括してみたいと思います。

昭和61年4月に向陽園が開設され、4月、5月、6月と3回に分け、男性25名、女性25名合わせて50名の方々が向陽園に入所されました。働く場所が見つかり、当時の言葉で「社会復帰」された方もいらっしゃいましたが、昭和61年6月までに入居された50名の利用者の内、33名の利用者が地域生活に移られた。比率にすれば66%の方が地域に移行したことになります。

地域での生活を目指し支援すること、地域での生活を支えることが私たちの専門性であるとすれば、地域での生活に移れなかった利用者がいたことも、反省しなければなりません。自宅に近い場所に施設ができたことや、高齢になったために、7名の方が、他施設・介護施設等に移られました。そして、残念ながら地域生活に移行できないまま、10名の方がご逝去されました。片谷地のホームの完成を目前に、昨年亡くなられた方が1名いらっしゃいますが、その他の方は、「重い障害があっても生活できるホーム」として建設しされた「あすなろ」「つばさ」が完成する前、平成24年以前に亡くなられました。「重い障害があっても地域で」とシュミレーションを開始したのが、平成20年。平成21年には、用地も見つかり、2棟のホームの青写真ができていましたが、契約間近で、地域住民の反対等により、計画がとん挫ししてしまうということもありましたが、もう少し早く取り組むことができていれば、向陽園で見せてくれた笑顔よりも、もっともっとすばらしい笑顔をみることができたのではないと思います。

働き手不足等の課題はありますが、一つひとつクリアしながら、向陽園で生活する全ての利用者が地域に移り、生活できるよう取り組んでいきたいと思います。

昭和61年スタート時の利用者の平均年齢は、34歳。開設から32年、現在、向陽園で生活する利用者の平均年齢は、37歳、施設入所者の高齢化が課題になっていますが、これは少し、自慢しても良い数字かもしれません。